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私が見たパチンコ依存症者、そしてゴト師

パチンコ依存症の方を数名見た。彼らはほぼ、毎日来る。毎日来るから依存という言い方は失礼だったらすみません

土地などを売って通い続ける70位の陽気なおばちゃん、闇金会社社長のおじさん、気の強いアジア系の彼女を連れてくる

「熱があるんです風邪薬ください」カウンターに真っ赤な顔をしてやってきた。

熱があろうが関係ないらしい。美人で上品な社長夫人は負けても勝ってもいつも穏やかでニコニコしている。

彼らは朝早くから並ぶ、お菓子やパンなどを交換して仲がいい。あの台が出たから次はあの台だとか、このタイミンぐで台はたくとリーチになんねん

とか、無邪気に話している。ある日常連の一人が最近来ないと話していた。どうやらサラ金に手を出して返済のメドが経たず、首を吊った様だった。

そして後にゴト師と判明したSファミリー、彼らは父親、母親、息子、娘で毎日来た。当時流行っていたモンスターハウスで

毎日毎日勝ち続けていた。パチンコ屋の監視カメラは当時でさえ、打っている一人一人をズーム出来る様になっていたし、

台のガラスを開けたり、台になにか振動が加わってもカメラがそこを捉える様になっていた

店長は、Sファミリーを怪しいとにらみ、毎日監視を続けていたが、監視カメラでおかしな様子が発見出来ない様だった

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壮絶な人生 | コメント(2) | トラックバック(2) | 2010/11/28 15:38

17歳DVを耐えて

ブラやパンツをはさみで切るマサノブ・・・私はただぼうぜんと見ていた。

マサノブは、私の性格を知っている。私が一人で生きていく勇気がないこと、誰にも言わない事も分かっていた。

「お前が悪いんだよ」と、捨て台詞を吐いて、シャツを羽織り、マサノブは、パチンコ屋へと出かけた。

はさみで切り裂かれた下着をかき集め、ゴミ箱に捨てた。ただ目の前には白い壁があるばかり、夕方になったが、

電気をつける気もおこらず、シングルベットに横たわり、ただ、壁をみていた。部屋の窓からは、紫色になった空と

パチンコやの看板のネオンがギラギラと光っていた。しばらくしてマサノブは、たくさんのパチンコの景品と、

スーパーで私の好物を買って笑顔で帰ってきた。そんな事がしょっちゅうあった。典型的DV男のパターンだ。今
なら分かる。

当時はこの人は、私がいないとダメなんだ。支えなければと思っていた。その日を境に、マサノブは、私に対して暴力を奮うようになった。

一番辛いのが、エッチを拒んではたかれる事だった。マサノブの中で、自分の性欲は絶対だった。

疲れている。眠たい。そんな言い訳は許されなかった。「やだ」

仕事で疲れ果てた私は布団を絶対めくられない様に抱え込み丸くなった。マサノブは無言で私の背中を何度か蹴り、ふて寝した

時には顔面パンチなどもあった。きまってその後は優しくなる。私は誰にも言えず、その悩みを抱えていた

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未分類 | コメント(0) | トラックバック(2) | 2010/11/27 17:39

17歳DVの始まり

東海といえばパチンコの本場、私が次に行った街はそんなに都会ではなかったが、

300メートル間隔位でパチンコやさんがあった。店の大きさも、前の店とは大きさが比べ物にならない、派手な作りで

きらびやかだった。当時は愛知万博にむけて、建設が始まったりしていて、今よりも少し、景気が良かった

景品には、ヴィトンのバックや宝石などが並んだ。従業員は、皆人懐っこい人ばかりだった

[真美ちゃんいくつなん?どっから来たん?今度うちと遊ぼう」

皆そんな感じで陽気だった。関西、四国地方、九州、沖縄、南よりの人が多かった。

マサノブは、もちろん私が日用品以外の買い物で出かける事を禁じた。

ガチガチに監視された真美ちゃんと、皆に影で呼ばれていた。仕事を始めて3週間位たったある日の事

、仕事の話を、仕事中に20代前半の男性職員と話をした。ほんの数分だ。私は何とも思っていなかった。

1時間位経ち仕事を終えて、マサノブと寮の階段を上っていた時[馬が笑った様にニヤニヤ笑いやがってよう」マサノブはそういうと

私のお尻を思いっきり蹴り飛ばした。マサノブは痩せているが、身長180以上ある、私はよろけて階段から落ちそうになった。私は一瞬何が起きたか分からなかったが、慌てて寮の部屋へ走って戻った。

部屋へ戻るとマサノブは「この男好き、そんなに男と話してニヤニヤかぁ」

と言いながら、私の背中をけったり顔をぶったりした。痛い・・顔が熱い。私は涙で顔がグチョグチョになった

「もうかえりたい・・」私は泣きながら床に座り込み

なぜ、自分がここにいるかを考えた。「うるせんだよ」

マサノブは部屋にあったハサミを握り締め、タンスから乱暴に下着を取り出すと、血走った目でリズミカルにチョキチョキとハサミで切り始めた

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壮絶な人生 | コメント(1) | トラックバック(1) | 2010/11/25 19:38

更に南にながれる

田舎のパチンコ屋での、たいくつな日々が始まった。マサノブは私が捜索願いが出されている

事を知り、自分以外と出かける事を禁じた。四六時中一緒の毎日。飽き飽きだった。

一度だけ実家に帰った。マサノブはレンタカーを未払いで1月以上借りたままだった。

レンタカーを借りた所の近くの総合病院に置き、匿名で電話した。そのついでに私は自分の家に荷物を取りに帰った

両親がいない時間を見計らって、自分の部屋に忍び込んだ。両親が、娘の居場所の手掛かりを探そうと思ったらしく、部屋中ありとあらゆる物が出されていた。学習机の一番上の引き出しが、鍵をこじ開けきれなくて

トンカチかなにかで打ち破った跡があった。親の必死さが感じられた。このまま家にいようかとも思ったが、直ぐ外に出た。

帰りは電車で無言で帰った。そのうちパチンコ屋の仕事も慣れてきて、私はカウンター業務を任せられる様になった。

お金に変える石と言われる景品を渡すだけならいいが、景品の在庫管理や、売上計算、棚卸など、チャラチャラした生活を送り、数学が苦手で、社会的常識がない私は、ポチポチとミスをした。

私は20という事になっている。誰も甘い目では見てくれない私は仕事が出来ない女

というレッテルがついた。所詮パチンコ屋の仕事なんて・・・とどこかで思っていた節があった。

やる気もなくミスを指摘される事にたいしてビクつく様になり、暗いオーラを出していた。

ある日事務員の女に帰りに呼ばれた。「あなたには向いてないんじゃないかなぁ」

後の言葉は覚えてない。戦力外通告・・・高校はまぁまぁの進学校だったし、悔しかった。パチンコ屋の仕事を舐めていた私は

世の中の厳しさを知った。後に、親しくなった人に本当の年齢を教えた事が事務員の耳に入り、

それも解雇理由の一つだと聞いた。私とマサノブはまたもやスポーツ新聞で求人を見つけ、東海地方のパチンコ屋で働く事になった
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壮絶な人生 | コメント(0) | トラックバック(1) | 2010/11/23 22:15

生きていく覚悟

そこは、節税対策で運営されているパチンコ屋だった。パチンコ屋のななめ前に工場があり、工場の節税対策で

行われているとやらで、そんなに赤字でも関係ないらしい。まぁ当時16歳だった私が聞いた事だから100%

正確かは分からないが・・店長は雇われで、50~60歳位のずんぐりむっくりのバーコード、そして事務の女は

その工場の娘だった。確か20代後半だったと思う。黒い肩位の長さの髪に、長身で、細身のキャリアウーマン風

だった。ツンツンキンキンしててその女とはどうしても反りが合わなく、嫌な思いをした。パチンコ屋に働きだし

1週間位し、ふと家の様子が気になった。PHSの電源を入れて、高校の同級生に電話をした。

「あんたどこにいるの?こないだ親学校来て、荷物引き取りに来てたよ。お母さん泣きじゃくってて、見ていられなかったよ

「・・ごめん、場所は言えない。また電話するからね」

休学するにも本人の手続きが必要で、行方不明の私は退学になった。覚悟していたけど、ショックだし、

親に申し訳なかった。退学・・帰っても居場所はないんだと思った。

知らない土地で、愛情はないが情のあるマサノブと生きて行く事を心に誓った

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壮絶な人生 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2010/11/20 10:40
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